『はねるのトびら』メンバーの虻川美穂子の現在を調査!ユーチューブへの思いを紹介!
この間、カジザックのユーチューブを観ていたら、北陽がゲスト出演をしていました。
虻川さんの面白さに当時はファンだったなと懐かしかったです。
すっかりTVで観なくなったので現在はどうしているのか気になっていました。
相方の伊藤と一緒にユーチューブでお笑いを発信していました。
子育て主婦だけに埋没は、やはり無理ですよね。
そりゃそうですよ!安心しました。
でも何故ユーチューブだったのでしょうか。
本日は『はねるのトびら』メンバーの虻川美穂子の現在を調査!ユーチューブへの思いを紹介!
と題して記載しました。
虻川美穂子の結婚後の一大事。
北陽は、埼玉県立久喜北陽高等学校の校名から名付けました。
虻川美穂子さんは、1974年9月11日生まれ、埼玉県北葛飾郡杉戸町出身です。
2010年10月の結婚時は36歳です。
2009年9月29日に『はなまるマーケット 』で共演したイタリア料理店のオーナーシェフ、桝谷周一郎と交際していることが週刊誌で報道された。2009年12月16日放送の『はねるのトびら』で実名が公表され、2010年4月7日放送の「はねるのトびら」では、女子プロボクサーとの対戦後に桝谷にプロポーズしたところ無事に成功し、はねトびメンバー並びに友人の女芸人たちから熱い祝福を受けていた。
引用元 ウィキペディア
女芸人がイタリア料理店の有名オーナーシェフ『桝谷周一郎さん』と結婚したと当時は玉の輿説や、セレブ説が勝手に囁かれました。
然し高級レストランのシェフを持続するのにほぼ一日中頭はフル稼働だし、傍で見ているほど気楽な仕事ではないようです。
虻川もその圏内に自分が存在する意味を少しずつ受け入れ慣れていったわけです。
その代わり当然出産を希望し、ある時期は家庭に入る事も虻川は厭いませんでした。
ただ子供に関しては桝谷さんは子供を望まず、この考えの相違により次第に夫婦関係に亀裂が生じるようになりました。
結婚するまでわからなかったのでしょうか。そして離婚の危機を迎えていたんだとか。(-_-;)
虻川美穂子は早くも夫婦関係の危機に賢明に取り組みます。
内助の功に徹底しました。
桝谷周一郎さんの仕事を主に生活を変えました。
お店に通いつめ夫婦で過ごす時間を増やす努力から始めたようです。
愛し合って結婚したのに、中々仕事におわれ大変だと人間は弱いものですね。
でもこの一途な思いは、桝谷さんの心に風穴を開けました。
この時に虻川が芸人としての仕事も入れていたら、パートナーとしての
同居はあったかもしれませんが、やはりすれ違っていたと思います。
色々あっての2世の誕生を虻川は、2015年2月に叶えます。
待望の第一子は男の子でした。
奇しくも相方の伊藤さおりさんは、2014年8月に女児を出産しています。
こちらは不妊治療を乗り越えての出産です。
おふたりとも高齢出産を乗り越えました。
虻川のユーチューブへの思い。
「北陽チャンネル」始動、虻川は髪を金色にすべきか黒色にすべきかhttps://t.co/Dk7PfgDhOY pic.twitter.com/eig944vUKI
— お笑いナタリー (@owarai_natalie) September 26, 2020
これは、カジサックが自身のチャンネルでゲストの北陽と対談しているときの内容です。
ユーチューブを始めたきっかけ
北陽は、チャンネル開設をフワーッと始めたとカジサックに語っていました。
カジサックは『はねるのトびら』の同級生なので、中々キツイアドバイスをしていました。
現在のチャンネル登録数は北陽のファンの数と思うので、絶対にもっと伸びるから
開設当初の気持ちフワーッと始めたは、もう一度そこから見直しべきと言っていました。
カジサックのゲストへのアドバイスは、ほぼ聞いたことがないので、きっと後でもっと深い話を
したかもしれませんね。
虻川は、子供が3歳までは頭が全くお笑いをはじいていたと語っていました。
しかしその後は少しづつ自分の思いに嘘がつけなくなったそうです。
その思いとは、「私は面白いことを追求する為に生きてきた」と「もう一度コンビでコントをやりたい」との思いだそうです。
虻川は、2020年3月からTVでのコンビの仕事はしていないとインタビュー記事にありました。
2010年の結婚以来仕事は激減りさせたわけですから、約10年のブランクを埋めるのに、
ユーチューブがコントを始めるきっかけになればとまだ模索中なのだと思います。
失礼な詮索申し訳有りません。
でも北陽チャンネルの虻川のタカラジェンヌなりきりは、まさに『はねるのトびら』を
思い出させるものです。
虻川が戻ったと思っています。これからが楽しみです。
虻川美穂子の結婚までの経歴。
虻川美穂子はインタビューで芸能界入りをこう語っています。
「なんとなく芸能界には興味があって、「何かをやりたい」というのはあったんですけど、具体的に何をやればいいのか、見当もつかなかった。
そこでまず同級生の伊藤さおりに誘われて劇団に入りますが、なんか違うと思っていて高卒でプロダクション人力舎のスクールJCAで学びます。
1995年にお笑いを目指し伊藤さおりを誘い、コンビを結成します。その後は芸の修行なのですが、本当にうまく行かず、1998年に仕切り直しの1年間休業をしています。
2000年に『はねるのトびら』のレギュラーに抜擢されるわけですから、休業から復活をして2年間「爆笑オンエアバトル」や「新しい波」など挑戦し、今思えば諦めない気持ちが支えだったてことでしょうか。
虻川は、『いい思いをするまでは執念深さが大切』と就活をする学生に送る言葉として自身の体験を語っています。
こうして26歳で人気が上昇します。
北陽は、お笑いの大型賞レースへの出場には消極的でありました。
例えばM-1グランプリ・R-1ぐらんぷり・キングオブコントなどといった大会にはエントリー経験がない『はねるのトびら』のレギュラーの中では唯一の存在でした。
北陽は、コントでブレイクした若手芸人で『エンタの神様』へ出演していないという数少ないコンビでもあります。
『はねるのトびら』のレギュラー「北陽.キングコング・ロバート・ドランクドラゴン・インパルス」選出についてはカジサックのユーチューブチャンネルが必見ですよ!
『カジサック× 近藤真広 テレビ作りの裏側』を是非御覧くださいね。
敏腕プロヂューサーの近藤氏が制作側の秘話を離しています。
同時に『おすぎとピーコの金持ちA様×貧乏B様』でも活躍しています。
しかし、『はねるのトびら』が時間帯の移動で深夜から早い時間の放映裏番組となったため、同番組の出演自粛を余儀なくされました。
虻川はコンビだけでなくピンの仕事も多く、単独でバラエティ番組のゲスト出演、ドラマ出演、CMなどの活動をしました。
ネタ番組にはイメージダウンに繋がるとのことで出演がほぼなかった虻川だが、2005年に『うたばん』で久々にTVでコントを披露しました。
まとめ
虻川のブランクといっても2010年の結婚後、2015年の出産後もウィキペディアをご覧になると
激減しただけで、結構お仕事はされていますよ。
相方の伊藤は、確かに東京を離れたので地元静岡放送での仕事が入ったりしています。
2人のお子さんは、現在小学入学前とカジサックに話していました。
今後益々手が離れることでしょうね。
でもいつまでもママをすることもある意味めちゃくちゃ大切です。
親子関係が良好であれば、虻川の場合は男の子なので、中学にもなれば後を追わないことですね。
ところで第2子が授かったということですよ。おめでとうございます。
ファンとしてはTVでもコントが見たいのですが、とりあえずは発信してくれる動画、ブログで北陽を
見守っていきたいです。
本日はありがとうございました。